【記者のひとりごと】対馬空港と記者の思い出
- 交通報道 史旅編集
- 10月29日
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今年10月、対馬空港が開港50周年を迎え、式典やイベントが開かれた。イベントではホンダジェットの展示やANA羽田オーケストラの演奏会も行われ、とても賑わったと聞いている。記者も昔は対馬に住んでおり、対馬空港にはよく遊びに行くことがあった。
住んでいたのは今から15年以上前のまだ小さい頃、よく両親に連れて行ってもらっていた。あの頃対馬空港は、長崎―対馬をオリエンタルエアブリッジがボンバルディアDHC-8-Q200で、福岡―対馬をANAがボーイング737-500で運航していた。空港ターミナル横にあるフェンスエリアから出発する飛行機をよく見ていた。あの頃は駐機場エリアで働く空港の地上係員とも、フェンス越しに話しかけられることもあった。あの頃はものすごくうるさく感じたジェット機の轟音、鼻についたジェットエアゾールの匂いも、懐かしく感じていた。
また今でも覚えているのは、出発時に対馬空港では駐機場からプッシュバックをせずに、飛行機の自走で滑走路まで向かい、離陸していく。その自走の際に、PBBが経路上に差し掛かるのか、飛行機から離脱後に経路の妨げにならないように管制塔方向へ曲げ、飛行機が離れたら再び元に戻すのだ。日本でも珍しいと思うこの運用は、小さいころの記憶だが今でも覚えている。現在ジェット機の定期就航はなくなり、FDA(フジドリームエアラインズ)のチャーター便ぐらいだろうか。定期便は全てプロペラ機へと置き換わっていった。
そして記者が飛行機に初めて乗ったのも、対馬空港からであった。現在と変わらず2階建ての建物のターミナルで、普段見ることしかなかった保安検査場を通過し、搭乗ロビーに入った時の感動は、今でも忘れられない思い出だ。いつも見るだけだった場所に立ち入れた時のワクワク感は今でも記憶に残っている。そして搭乗口を抜け、階段を下り、飛行機を間近で見た時の感動、飛行機の中から見た外の景色、少し薄暗い機内の雰囲気。十何年経った今でも忘れずに覚えているのは、やはり初めてだったということと、対馬空港という場所があったのかもしれないと思っている。
そして十数年前に私が対馬にいたころは、対馬空港のイベントで管制塔にも登った。下には事務所があり、気象関係の職員・空港施設管理の職員らからの説明を聞いたのは今でも覚えている。そして管制塔の管制室へ。見たことがない器機がずらっと並び、外からは対馬空港をすべて眺められ、対馬の山々も見えていた。この頃は管制官も在中し、私が見学した際には2名ほど居たような記憶がある。こういう経験もあったからこそ、飛行機により興味が湧き、今の自分がいるのではないかと考えたところだった。
めでたく50周年を迎えた対馬空港。私はスケジュールの都合でイベントに足を運ぶことができなかったが、いつかは再び対馬空港に足をつけてみたい。過去の思い出を振り返って懐かしく感じながら、また思い出に浸りながら記事を書いた時間だった。(記事文作成:運営記者)


